「すぐり」の経歴⑧(地域振興整備公団、そして都市再生機構へ)
岩手県から呼び戻され、配属されたのが地域振興整備公団です。地方都市のニュータウン整備を統括する部署の部長代理です。三重県では上野新都市が担当事業であり、中勢北部サイエンスシティは残念ながら産業系の事業なので直接の担当ではありませんでした。この本業をこなしながら、都市公団との合併・独立行政法人への移行が1年後と決まっていましたので、その準備の方がたくさんありました。
1年後、昨年の7月ですが、独立行政法人都市再生機構に移りました。業務の内容はニュータウンから「全国都市再生」、特に地方都市の中心市街地の活性化への支援業務に変わりました。
職員みんなで手分けしながら全国の都市を訪問しましたが、三重県も訪問しましたよ。県内の市町村の状況を聞き、担当者が幾つかの市町村を訪問しました。四日市で昨年実施した「都市再生大学校」はその活動が実った実績です。
私自身は、少し前までいた岩手県盛岡市、山口県岩国市、高知県高知市、沖縄県の那覇市と具志川市(現うるま市)などを受け持ち、頻繁に現地に出かけました。
盛岡市では、古くなったバスセンターの再整備という長年の課題に取り組み、及び腰の市役所と親会社の意向で動きにくいバス会社に対して、手間を掛けてほぐすような作業でコンセンサスを少しずつ積み上げていきました。
岩国市では、米軍基地の前に約100haもの規模で区画整理の都市計画決定がなされて40年も動いていない地区があり、住民参加型でゼロからまちづくりに取り組もうという市の手伝いをしました。市長も非常に前向きで住民の会議に何度も参加して熱意を披露してくれましたし、職員の方々みな本当に熱心に取り組むので、何とか前に進められるよう一緒に取り組みました。盛岡市にしても岩国市にしても、まちづくりというのは本当に時間が掛かる息の長い取り組みだという典型例であり、私が異動したあとも引き続き取り組まれています。
高知市では、「街なか居住の推進」というテーマに取り組むモデル都市に手を挙げてこられ、具体的な地区をモデルとして実践的な検討を行いました。商店街協同組合の会長さんも、これからの商店街の発展は周辺に人が住んで賑わうことが不可欠だという認識で、熱心に前向きに取り組まれました。今後が大いに期待されます。
沖縄については、都市再生機構の初代沖縄担当部長を努めたこともあり、何度も足を運びました。那覇市の国際通りの活性化に向けたワークショップの開催、具志川市では区画整理事業と住宅地区改良事業の合併施行に加えて、集約換地したブロックで商業拠点施設を整備するという意欲的な計画を作り、その実現に向けて取り組みました。地権者さんの勉強会などにも参加し、夜遅くまで泡盛を飲みながら語り合いもしました。
都市再生機構では、都市再生コーディネートという新しい形態の業務の立ち上げに取り組み、暗中模索、試行錯誤を繰り返しました。誰も成功するスタイル・パターンを見いだしておらず、しかし地方の公共団体からは熱い期待を寄せられ(でも委託費は多額には用意されない)中、使命感・公共性と採算性との狭間で悩み続ける毎日でした。せめてもう1年引き続いてやりたかったのですが、人事異動のため、現在の部署に転勤となった次第です。


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