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2007年10月 5日 (金)

LRTとまちづくり

 LRTとは、Light Rail Transit(ライト・レール・トランジット)の略です。いわゆる「路面電車」「ちんちん電車」と本質的には違いませんが、あえて言えば、「路面電車のシステム全体を近代化・ハイテク化した新しい都市交通システム」というようなことになるようです(今のところ、明確な定義はないとも聞いています)。もう少し路面電車との違いを具体的に言うと、車両が高性能で長編成、騒音・振動が少ない、低床で乗り降りが楽、スピードが速い、定時性がある、専用軌道を走る(一般の交通と混在しない)、景観上優れており都市のランドマークとなる、といったところです。

 かつて路面電車は多くの都市にありましたが、古くさくて、遅くて、自動車の方が便利だ、自動車交通の邪魔だ、ということで、モータリゼーションの進展に伴って次々と廃止されていきました。現在は、17都市19事業者約205kmの路線を運営しているだけになっています。
 しかしながら、便利だった自動車交通の方も必ずしもいいことずくめではなくて、環境に悪い、渋滞する、維持費にお金が掛かる、事故の危険性がある、年を取って運転するのがしんどくなってきた等々の理由から、「公共交通」を見直す気運が高まってきています。地域公共交通の代表格は「バス」ですが、「路面電車」を見直そう、次世代型路面電車である「LRT」を整備しようという動きが全国各地で盛んになってきています。そして、LRTは単なる交通手段の一つとしてでなく、「交通需要管理政策」の一環として、また、街づくりと一体となった位置づけで考えられています。代表的な参考事例としては、フランスのストラスブール、ドイツのフライブルクなどが挙げられます。これらの例では、バスとLRTが平面的に楽に乗り換えられて、一体的に使えるようなネットワークとなっていたり、パークアンドライドと言って、郊外の駐車場で車からLRTに乗り換えて都心に入ってこれるようになっており、中心部には一定の商業エリアが車を規制した「トランジットモール」という快適な歩行者空間として整備されています。このようなLRTが、1981年以降、世界各国では100箇所以上も新規開業しているというから驚きです。日本では、富山市で「富山ライトレール」が平成18年春に開業したものが、初めてのLRTとして脚光を浴びました。ただし、富山レイトレールも、富山駅近くの一部区間以外は富山港線というJRの路線跡を転用したものなので、正真正銘の新規開業とは言い難い面もあります。とは言え、富山駅の北側に延びる富山ライトレールを駅南側の市電とつなげる計画になっているので、それが実現すると素晴らしいネットワークができあがります。
http://www.t-lr.co.jp/
 その他、堺市宇都宮市などで具体的な計画が進められていますが、新規の鉄道敷設となると、なかなか簡単にはいかないようです。

 では、LRTのどこがいいのか、主なポイントを挙げてみます。
○かなりたくさんの乗客を高速で運べる
 →車体は45mもあり、連結も可能。電車優先信号を導入すれば、高速で定時走行が可能。
 →本数を増やせば「待たずに乗れる」
○乗り降りが容易
 →超低床車が開発されており、路上から乗れる(駅の階段を上り下りする必要なし)。
○建設コストが安い
  →海外の事例では1km当たり10~20億円で整備されている(モノレールだと100億円以上)。
○街なかの環境改善につながる
 →中心市街地が活性化する(海外の事例で実証済み)。
 →まちのランドマークや観光資源になる。
○街なかに手軽に頻繁に出かけられる
 →学生、お年寄り(今まで諦めていた人、遠慮していた人)などの足として最適。

 もちろん、いいことばかりの夢物語ではありません(それなら全国各地で続々と整備されているはず)。モノレールに比べて安いと言っても、総額では100億円以上の巨額の公共事業になりますから、その財源確保は極めて難しいのが現実です。しかも、バスのように路線の新設・廃止を柔軟に行うわけにいきませんから、乗客数が増えず採算が赤字になった場合は大変です。路線が網の目のように張り巡らされていれば、いろんなところに行く時に使えるので利便性は高まりますが、一方建設コストがかさみますから採算性確保が困難になります。
 従って、LRTだけを取り出して、その建設の是非を議論することは適当ではなく、鉄道やバス等を含めた「地域公共交通」全体でとらえ、各モードの連結と効率よい役割分担ができないかを検討すべきだと思います。その中でLRTを整備することが十分に効果的だと判断されれば、GOサインを出すべきです。平成19年、「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」が制定されましたので、このような取り組みが法的にも裏づけられました。ただし、この法律も「地域公共交通」の世界だけであれこれ考え取り組む枠組みになっているので、それでは有効な解決策は出てきにくいだろうと思います。そうではなくて、都市政策(都市構造をどう変えていくか)、住宅政策(住宅立地をどのように誘導していくか)、福祉政策(弱者の移動容易性の確保、施設の配置)、観光政策(訪問客、交流人口にとっての魅力として仕立てる)など、様々な政策分野を総動員して、いわゆる「まちづくり」を進めていく中に「地域公共交通」を戦略的に組み込んでいくべきだと思います。そういう「総合行政」が、これからの地方分権時代の自治体には強く求められているのだと思います。

 さて、最後に津市においてLRTが導入できないかということについて考えてみたいと思います。津市は、合併して山間部も有する広い自治体となりましたが、ここでは旧津市に絞って考えてみます。旧津市の地勢は広大な平野部を有し、市街地も低密度に広く拡がっています。決して豊富とは言えない都市機能が薄く広く分布しています。公共交通が成り立つには不利な条件と言わざるを得ません。その中で多少なりとも事業採算性が成り立つ可能性のある要素を拾い出してみます。
 市街地は、「津駅」と「津新町駅」を二大拠点としてその周辺に都市機能が集積しており、両駅の間にだらだらと市街地(都市機能)が連たんしています。市街地の周辺の拠点としては、北部の三重大学、北西部の「三重県総合文化センター」、南東部の「津なぎさまち」などが挙げられます。三重県総合文化センターの周辺は住宅地が拡がっています。津なぎさまちは、セントレアへの交通アクセスとしての文字通り交通拠点ではありますが、シンボリックな拠点性を有するとは言え、周辺は低密度なややくたびれた市街地であり、半分は海ですから、集客力はあまり高くありません。これらの状況認識を踏まえ、LRTの路線を考えるとすれば、三重県総合文化センターから津駅、津なぎさまちから津センターパレスまでをそれぞれ結んだ上で、津駅とセンターパレスの間は、複数の路線(例えば、①津駅西口から南下して津新町まで、②津駅東口から国道23号線に沿って南下してセンターパレスまで、③同じく津サティを経由してバイパスを南下してフェニックス通りまで)を並行して引いて環状線にすることが考えられます。特殊文字を使って表現してみると、「Φ」のような感じです。なお、百五経済研究所が発行している「HRI REPORT」の2007年5月号に「21世紀の公共交通~LRTを活用したまちなか再生と循環型社会の創造~」という調査レポート(地域調査部の梶本健太郎氏執筆)が掲載されており、そこでは、三重総合文化センターと津なぎさまちを結ぶLRTの路線が提案されています(経路は津駅西口、三重県庁西側、ビストロピアット前交差点、中央公民館、センターパレス、フェニックス通り)。何だか我がアイデアと酷似しているみたいですが、実は本稿を書く前にこの調査レポートを読んでいるので、当方が「後出し」である点を正直に告白しておきます。
 さて、大事なことはLRTの路線新設だけの問題にとどめるべきではないということです。まちづくり全体の中に主軸として位置づけ、戦略的な取り組みをしていってはどうか、という提案なんですが、前述のLRT路線網を整備するとともに、総文、なぎさまち、津駅、センターパレス(三重会館)、津新町駅を乗換拠点駅として、放射状に各方面に伸びるバス路線とつなげます。様々な公共施設や商業サービス施設、そして共同住宅をLRTの駅の直近に配置し、これら施設の利用者がLRTを利用しやすくします。便利だと感じれば利用者は増えますし、利用者が増えれば沿線への施設立地が進みます。相乗効果がでるようになれば、LRTの経営も軌道に乗るでしょう。LRT+バス路線+鉄道(JR、近鉄)のネットワーク上を人やモノが流れる動脈となり、それを座標軸とした都市構造、土地利用が実現していけば、それこそ「持続可能な都市」(サステイナブル・シティ)のあるべき姿と言えるかもしれません。そのための初期コストを、仮にそれが多額であっても、頑張って投資することができれば、この構想の実現も決して夢物語ではありません。大事なことは、このような壮大な計画を真剣に検討し、責任を持って策定し、その実現に向けて官民が一体となって取り組むことです。それを行う主体は、行政(首長)であり、議会であり、市民であり、産業界です。国や県が指示・命令をしてくれることはありません。アドバイスもあまり期待できないでしょう。自治体が市民・事業者と連帯責任・連携協力によって、自己責任のもと、自ら決断し、自らの力で実行するしかないのです。
 実現可能性の低い、単なる空想だと思わないで下さい。富山市が目指し、取り組んでいるまちづくりは、かなり近いものです。現にLRTや市電を持っている富山市の方がかなり有利かもしれません。人口や産業の集積も大きいでしょう。だからといって、津市がまったく参考に出来ない、学べないということはありません。津市は津市なりに、津市レベルでやればいいのです。空想や理想論にとどまっていては進歩がありませんから、是非リアリティを持って真剣に研究してみたいものです。趣旨にご賛同頂ける方が現れるといいのですが。

2006年7月27日 (木)

「学生提案型みなとまちづくり支援事業」に思う

 津市のホームページに7月25日、「学生提案型みなとまちづくり支援事業の募集について」が掲載されました。新聞にも記事が載っていました。
 8月24日が応募締切となっており、まだ1ヶ月ありますので、ぜひ学生グループから意欲的な提案が多数出されることを期待したいと思います。なかなか発展しない「なぎさまち」の活性化につながればいいですね。
 私も学生の参画を得てまちづくりを考えたり、まちの活性化に取り組むプロジェクトに関わったことがありますが、その経験を踏まえると、いくつか気になる点があります。
 まず、なぎさまちという海に面した地区の活性化ですから、実施時期はできればにすべきだったと思います。モデル事業が選ばれて実施する時期は10月~2月、つまり晩秋から冬にかけてになるようですが、盛り上がるにはきつい季節ですね。役所の会計年度の都合が優先されたためだと思いますが、もし来年度も実施するなら、第一四半期に選考を済ませ、夏を中心に実施するように改善した方がよいと思います。
 選ばれた計画には50万円までの実施経費を市が負担するそうですが、学生グループが自ら実践することになっています。学生が市当局や地元の住民や各種団体を巻き込んだ計画を提案して選ばれるかも知れませんが、学生グループ単独での取り組みだと、これまた盛り上がるのが難しくなるかもしれません。「市は金は出すが汗はかかないのか?」という悪口は出てこないでしょうか。まちづくりっていうのは住民や行政や商売人など多種多様な人たちが参画して推進していくものですから、地域に根っこを張っていない学生だけではしゃいでも成果を出すのはなかなか厳しいですよ。むしろ、市の方で取組みの大まかな方針や枠組だけ決めて、それに肉付けする具体的なアイデアを出して積極的に参画してくれる学生たちを募集し、地元を含めて一緒になって実践するっていう形の方がうまくいきそうなんだけどなぁ。
 50万円というお金ですが、学生グループから見れば少なくない金額であり、もらえたら張り切ると思いますが、市にとれば、それで地域の活性化という成果が得られるならこんな安い出費はありません。その割には、お金の使い方に実に細かい制約を課していますね。素晴らしい成果を出してくれるなら黙ってポンと50万出すって言えないんでしょうか。
 あと細かいことを言えば、要件の中に「教員の指導」を入れてますが、学生の自由奔放なアイデアを活かしたいなら、この要件は逆効果だと思います。もし、実施体制や責任の所在を懸念するなら、審査の中で問いただせばいいわけで、提案した学生が信頼できなければ落とせばいいだけです。
  私は、まちづくりに学生を参画させるメリットは、学生の「アイデア」と「パワー」が地域において「起爆剤」(きっかけ)になることだと考えています。これは、「都市再生大学校」という名前で、四日市市、安城市、大津市、岩国市、那覇市で学生が積極的に参画するまちおこしのイベントを実施した経験から学んだ教訓です。
 改めて言えば、地域にとって学生の参画は、「答」ではなく「きっかけ」をもらうことに意味があり、学生にとっては貴重な経験をするということで、双方が満足感を味わうわけです。そして、そのきっかけを踏まえて、地域の住民や関係者が、やがて自立してまちおこし・まちづくりを発展させていくというのが望ましい姿なんですね。まあ、必ずしもこのパターンに限る必要もありませんが、今一度、「学生提案型みなとまちづくり支援事業」の進め方について見直してみたらどうかと思うのですが・・・・・。

2006年1月 6日 (金)

「建設」ではなく「維持管理」が主役に

 これまで公共事業やまちづくりにおいては、「建設」が日の当たる花形でやり甲斐のある仕事、「維持管理」は地味な裏方で面白くない仕事、という考え方が強かったと思います。道路にせよ、下水道にせよ、農業施設にせよ、建築物にせよ。新規建設のための予算は少しでもたくさん獲得しよう、維持管理のコストはやむを得ないものに限定してできるだけ節約しよう……。
 確かにまだまだ新しい施設整備は必要ですが、これからは人口減少時代ですから、拡大路線からコンパクト化の指向に切り換えなければなりません。本当にそうです!大胆な提案でも奇抜な発想でも何でもありません。しがらみのない専門家に聞けば、皆そのとおりだと言いますよ(公共事業に依存している人たちは素直に認めませんが)。
 今、私たちが持っている施設や設備を長持ちさせ、機能を維持させながら新しい需要にフィットさせる、そういうことを主軸に据えましょう。お肌や体もそうですが、施設や設備も手入れを十分にすれば若さを保ち、長生きします。「もったいない」の精神でモノを大切にすべきだと思います。
 もう何十年もの間、スクラップ・アンド・ビルドに慣らされてきた私たちは、完成したときの美しさ、機能だけに注目します。そして古くなるとすぐ飽きて忘れてしまうのです。でも、こんな考え方は、実はほんのここ数十年の考え方であって、日本人は、もともとモノを大切にする民族だったんですよ。長持ちする素材を使い、長持ちする作り方をしてきました。神社仏閣、街道、里山、町割り……、みんなそうですよね。かつての住宅が木と紙で出来ていてすぐ燃えるので、「寿命が短い」という先入観を持っているかもしれませんが、木造って実はしっかり作れば長寿命なんですよ(鉄筋コンクリート造に比べてはるかに)。
 「モノを大切にする風習」は、本当は私たち日本人が持っている素晴らしい財産なのに、西洋化、近代化の嵐に揉まれているうちに忘れてしまっています。古くさい非現実的なものとして蔑み、一部の人が懐古主義で愛でているものに、実はとても大切な価値感や知恵が隠されているのです。そろそろそれを思い出しましょう。
 出来上がったときがピークで、そのあと直線的に美しさや機能が衰えていく現代のモノは本当の価値があるとは思えません。産み落としたときは不完全でも、不十分でも、時間をかけて慈しみ、育てていくことで、成長もするし、美しくもなります。環境とも調和していきます。建物もそうですが、「まち」も同じです。ですから「まちづくり」ではなく「まち育て」という言葉の方を大切にしようとする考え方が生まれてきてるのです。
 施設や設備についても、こまめに手入れをし、痛んだところ、機能が衰えたところを、その都度修理したり交換したりしていけば、長持ちするでしょう。その方がコスト的にもずっとやすく済みます。愛着もわいてきます。専門的には、この考え方を「ストック・マネージメント」と言います。

 モノを大切にすることは、すべての市民にもできることです。ですから、行政と市民とでこの価値観、風習を共有し、手をかけながらまちを、そしてまちを構成する施設一つひとつを育てていきませんか。

2006年1月 5日 (木)

住民参加による地域起こし(事例紹介)

 「住民参加によるまちづくり」の記事で少し紹介しましたが、熊本県の宮原町のまちづくりへの取り組みを改めてご紹介します。
 宮原町は、2町の合併により現在は氷川町となっていますが、かつては117年の歴史を持つ、人口5,300人弱の小さな町でした。この町は八代平野の中央部に位置し、山間と平野部を結ぶ交通の要衝で、大正から昭和にかけて町の素封家「井芹家」が自前の銀行を開設するほど繁盛しました。「井芹銀行」は紆余曲折を経て撤退となり、その社屋はかなりの期間閉鎖されていました。
 この「井芹銀行」がまちづくりの舞台となります。平成7年に町が井芹家からこの旧井芹銀行本店の土地建物を買い取り、まちづくりの拠点にしました。その名も「まちづくり情報銀行」。町民の声を「情報」として貯蓄し、まちづくりに活用するというのが命名の趣旨ですが、そこには、かつては繁栄したものの、今では過疎化が進む一方の退勢を立て直し、何とか活気を回復したいという思いが込められています。
 話は平成4年へと少しさかのぼります。当時、宮原町には、地域起こしの事業として、高さ75mの岸壁がそそり立つ美しい渓谷に日本一のスーパースライダーを建設する計画が進んでいました。そこに派遣されてきた国土庁の地域振興アドバイザー3人が新しい発想と刺激を持ち込みます。それに対して役場の改革を志す職員たちが反応したわけですが、さらに平成7年に就任した平岡啓輔町長が町政改革の流れを決定づけました。平岡町長は町長に就任すると直ちに旧井芹銀行を買い取り、それを改装して「まちづくり情報銀行」を開設するとともに、ここに企画調整課を配置して、住民参加のまちづくりの拠点としました。そして、町内14の行政区(自治会、町内会に相当?)にまちづくり情報銀行の支店を置き、各地区に住民の中からまちづくり推進員を選び、さらに地区担当職員を決めて支援体制を整えました。まちづくり推進員の中から支店長が選ばれ、計画作成のまとめ役となりました。この「まちづくり情報銀行支店」が主体となり、住民の声をワークショップによって吸い上げ、総合振興計画がまとめられました(3年間で約300回のワークショップを実施し、参加者の延べ人数は町民人口を上回る6,000人だったそうです!)。情報は、地域ごとに吸収されるだけでなく、ジャンル別代表者会議(福祉、教育、産業)、テーマ別情報収集(自然、歴史、生活、産業、人)によって、分野別にも検討が行われ、さらに女性フォーラムの設置によって、高齢者支援、遊び場、下水処理、ゴミのリサイクル、食と健康など、主婦の得意分野が議論されていきました。
 宮原町は、住民の要望を積極的に取り入れる姿勢を示しましたが、単に要望を聞くというだけでなく、行政と住民が協働関係、パートナーとして対等の関係を構築するため、住民にも応分の負担・相応の対応を求めました。丁度、14の地区すべてから公園の整備に対する要望が出されたため、①公園の内容は、公園建設委員会をつくり、自分たちで検討すること、②用地の取得交渉は行政区が行うこと、③地域のための公園として管理は行政区が行うこと、という3条件を提示したのです。すると、実際に手を上げたのは4地区に減り、公園建設にまでこぎつけたのは1地区だけになったそうです。行政から与えられることに慣れ、要望することはあっても、「自ら取り組む」という住民自治をこなすことは案外難しいもののようですね。さて、この1箇所の公園建設計画においても、ワークショップによって幅広い意見が出され、お年寄りと子どもの意見が対立しました。伝統的な日本の地域社会では自由に忌憚のない議論を交わす習慣はタブーでしたが、このタブーを克服しない限り、地域が行政のパートナーになることはできません。結局、この地区は世代間の意見の対立を乗り越え、公園を完成させました。これ自体は成功と言えますが、この地区以外には、盛んに要望のあった地区公園への動きがぴたりと止まってしまったそうです。行政区や区長という伝統的な体制があることも影響し、近代的な民主主義の仕組みがただちに機能することは難しいようですね。宮原町では、各地区のまちづくり推進員が取りまとめに関わる民主的な「地区要望制度」を確立することで、まちづくり情報銀行を地域に浸透させていきました。まちづくり情報銀行の支店長には、住民の声を聞く度量と戦略的な思考能力が求められるようになりますので、そういう優秀な人材が活躍の場を見いだすようになっていきました。
 こういう経緯でスタートした「まちづくり情報銀行」はその後どのように浸透し、発展していったのでしょうか。14の地区ごとに、支店長、次長を含め、約130名の行員(まちづくり推進員)がいます。各支店では、地区ごとの地域づくり目標の実現に向けて支店会議地区会議が行われ、具体的な取り組みがなされています。まちづくり情報銀行本店から各支店に対して、人的支援が行われるほか、地区の活動費として「支店経営補助金」(年間の予算総額350万円)が準備され、支店長会議において内容や金額の審査が行われ、補助額が決定される仕組みとなっています。住民自ら企画・立案し、お互いに承認した事業や経費について町長が交付決定するという仕組みです。具体的な活動実績を幾つか紹介しましょう。堤への手すり付き階段の設置と草刈り、桜の植栽、観光説明板・誘導看板の設置、祭り提灯の製作、散歩道の維持管理のための草刈り機等の購入、花いっぱい運動(花苗とプランターを各世帯に配布)、子どもと高齢者交流会の開催、ガーデニング講習会の開催、交流施設(あづま屋)の整備と「ぜんざい会」の開催、世代間交流事業としての納涼祭の開催、先進地研修や学習会の実施、支店だよりの作成・発行……。1地区当たり数十万の補助でこんなにいろんなことができるんですね。中には、「地区でできることは地区でやりたい」との意見から、材料費等に補助を受け、工事は住民が行ったケースもあります。14のまちづくり物語が各地区で多彩に繰り広げられている様子が目に浮かぶようです。
 平成15年1月1日には「宮原町を守り磨き上げるまちづくり条例」が制定されました。これは、宮原町における過去10年間のまちづくりを集大成したもので、「実例により書き上げているので、活きている条例です」ということです。少し長くなりますが、前文を引用しますので、読んでみて下さい。
『わたしたちのまち宮原町は、面積9.89平方キロメートルの区域に、里を取り巻く様々な環境が凝縮して詰まっています。山林、丘陵に展開する里山、平野に広がる田畑、それらをつなぐ氷川の水の恵みなどが織りなす豊かな自然環境、温暖で四季の変化に富んだ気候、そして、そこに培われてきた暮らしの環境や文化など、そのすべてが宮原町の宝です。
これらの宝を守り磨き上げて、後世に自信を持って継承し、わたしたちが愛する宮原を宮原として永遠に残していくことが、わたしたち誇り高き宮原人の責務です。
わたしたち町民一人ひとりの夢と知恵、まちへの想いが積み上げられた手づくりの新総合振興計画「小さなまちの大いなる挑戦」に基づいて、わたしたち町民主役のまちづくりが一歩一歩進められています。
このまちづくりの動きをより一層発展させ、わたしたち宮原人が一丸となって取り組んでいくためには、まちづくりへの取り組みの考え方を共有し、秩序ある土地の利用を誘導する仕組みなどを定めることが必要です。
わたしたち町民がまちづくりに対して高い意識を持ち、自らで考え、決定し、責任を持って実行するまちづくりを進めるため、ここに「宮原町を守り磨き上げるまちづくり条例」を定めます。』

 なんと分かりやすく、心に響く文章なんでしょう。条例なのに、実に瑞々しく活き活きとしています。条例を読んでいると、すべての条文をここで紹介したくなってしまうほどです。本文をご覧になりたい方は、以下のURLをクリックして下さい。
http://ic-sv.miyahara-t.kumamoto-sgn.jp/Cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AM02000 
 非常に懸念されることは、冒頭に触れたとおり、宮原町が対等合併により氷川町となったことの影響です。この条例は「氷川町を守り磨き上げるまちづくり条例」という名称に変わりつつも、「宮原地区」だけに適用される条例として存続しています。これが、当座しのぎの苦し紛れの措置なのか、それとも割り切ってこれでいいと考えているのか分かりませんが、このような不規則、不自然な片肺飛行がいつまでも続くとは思えません。いずれにしても、宮原らしい輝かしいまちづくり活動が今後も持続し発展していくのか、非常に心配です。

 最後に総括です。ここでご紹介した宮原町の取り組みが合併・津市にそのまま適用・応用できるものではありませんが、アイデアや意気込み、可能性については、大いに学ぶところがあり、津市ならではの取り組みに活かしていけるのではないでしょうか。特に、中心市街地活性化と対比して取り組むべき、郊外市街地や中山間地における地域づくり・地域起こしを考えるとき、非常に役立つ参考事例だと確信いたします。
「住民参加」という言葉は頻繁に使われており、お経のように唱えると有り難い響きがしてきますが、その難しさと効果をよく認識した上で、具体論、方法論まで入り込んで検討し、実践していかないと何の効果もありません。

2005年12月30日 (金)

住民参加によるまちづくり

「合併のメリット・デメリット」の項でも紹介しましたが、市民の立場からは、合併のデメリットとして、「中心地ばかりが重視され、周辺地域(農村等)が取り残される」、「地域の特性や歴史が失われ、住民のコミュニティ活動が萎える」などは非常に懸念されるところかと思います。合併後の市の名前も「津市」ということもあって、旧・津市の中心部ばかりが栄え、その他の旧・9市町村の区域は取り残されてしまうのではないかとか、もとの各市町村のカラーがかすんでいってしまうのではないか、という漠然とした不安は、多くの市民が持っているかと思います。

 ここで、是非紹介したい取組み事例があります。熊本県の宮原町というところが「まちづくり情報銀行」という取組みを展開しています。大正時代に建てられた銀行の建物を活用していることから、そういう名前になったそうですが、特に重要視しているのはサロンとしての機能だそうで、来店者にはもれなくコーヒーやお茶が出され、住民の方からの差し入れのお菓子などを食べながら、世間話やまちづくりに関する話をしているそうです。
 それだけでも楽しそうな雰囲気が伝わってきますが、宮原町の「まちづくり情報銀行」の取組みの本当の素晴らしさは本店ではなく「支店」にあります。町内には14の地区がありますが、それぞれの地区に「まちづくり支店」があり、そこには、支店長、次長など、約130の行員(まちづくり推進員)がいます。各支店では、地区ごとの地域づくり目標の実現に向けて支店会議や地区会議が行われ、具体的な取組みがなされています。
 詳しい具体的な紹介は改めてしたいと思いますが、各地域の生き生きとした自主的なまちづくり活動が、町と住民との協働によって様々に展開されており、何とも羨ましいというか、素晴らしいというか、胸が熱くなってくるほどです。
 要するに、行政が仕組みとか舞台を用意して、必要最小限の支援(技術的、財政的な)を行うとともに、住民も積極的に知恵を絞り、汗をかくことで、素晴らしい自治のまちづくりが可能なんだということです。人口規模の違う新・津市では、宮原町の取組みをそのまま導入するわけにもいかないでしょうけど、大事な部分を参考にしつつ、津市なりに工夫したりアレンジしたりすれば、十分に応用が可能だと思います。
 蛇足ですが、この宮原町は、2005年10月に隣町と合併してなくなってしまいました。この小さなまちの個性的な取組みまでも合併によって消えてしまったり、勢いが衰えてしまったりしてないかどうか、とても心配です。

2005年12月28日 (水)

中心市街地活性化基本計画を読んで

 この計画は、文字通り「中心市街地の活性化」に取り組む市町村などを支援するための法律(略して中心市街地活性化法)に基くもので、既に全国620の市町村で作られています。津市の計画は当初平成11年7月に公表されましたが、その後2次の改訂が行われて現在に至っています。
 中心市街地活性化法に、大店立地法、改正都市計画法を加えて、よく「まちづくり三法」と呼びます。これらの法律は中心市街地の衰退がクローズアップされた平成10年に制定されました。その後7年が経過しましたが、皆さん実感されているとおり、目に見える効果が上がっている地域は少なく、むしろ衰退に拍車がかかっている方が多いような状況です。そのため、法律や制度が不十分だ、大幅に見直さなければダメだ、という議論が交わされており、来年に向けて政治主導で新たな対策が打ち出されようとしていますので、この基本計画も近いうちに改めて作り直すようなことになるかもしれません。
 さて、現在の津市には、主な商店街として「大門・丸之内地区」「津新町駅周辺地区」「津駅前地区」があります。ひとことで言えば、どこも衰退していますよね。様々な事業・施策が実施され、当事者や関係者はご努力されてきたこととは思いますが、結果だけを見ればその効果はあまり出ていないとしか言えません。その原因を「中心市街地活性化基本計画」にだけ求めることは不適当ですが、本来は「中心市街地の活性化」を使命として作られたマスタープランですから、現実に照らして厳しく批判的な目で見られても致し方ないと思います。
 計画の内容を見ますと、総じて着眼点や問題意識はバランスよく適当だと思われます。しかし、行政や地域の関係者が渾身の思いで自分たちの思想として提案された迫力のあるものなのか、についてはやや疑問です(手慣れたコンサルタントがチョイチョイと書いてくるケースもありますからね)。
 取組みの成果として「事業の進捗が図られた」「市民参画のきっかけが生まれた」「関係機関との連携が進められた」という記述で、「一定の成果を得ることができました」と結論づけています。厳しい言い方で恐縮ですが、いい面だけを見て(見せて)満足する姿勢からは何も改善が生まれません。実際、次のページ(現状と課題)で「次に示すように依然として厳しい状況が続いているのが現状です」と書いているじゃありませんか。
 厳しい、厳しいと繰り返しつつ、将来展望は楽観的に書かれており、強い違和感を感じます。どうしてそんな見通しが語れるの?って感じです。
・活動方針『「出会い」「ふれあい」そして、ひと津へ』
→シャレの出来映えはともかくとして、このキャッチコピーのどこが「活動方針」なんでしょうか。いやケチをつけたいわけじゃなくて、この方針じゃあ具体的な事業計画なんて作れないんじゃないかと思うわけです。
・「中心市街地は「街の顔」であり、津市の個性が凝縮された場所であることを踏まえ…」
→本当に、本心からそう思ってるんでしょうか。私は間違った思いこみだと思います。
・津市での生活価値観を以下のように設定してきました。“Life Resort(ライフ・リゾート)Town 津”
→このキャッチコピーの役割と効果もまったく分かりません。ただし、その直前の「しかし、一方、ゆるま湯につかっているようで、「刺激がない、チャレンジ精神、積極性に欠け、変化を好まず、差別的で閉鎖的」な側面も指摘されています」という記述は、コンサルには書けない地元の本音の意見だなあ、と妙に感心してしまいました。
・中心市街地の将来像として、「海との連携を深めて、津市民に親しまれる「海」の波光きらめく美しさを活かしたまちづくりを進めます」という記述や、「~ライフリゾート・タウン~波光きらめく海音(かいおん)の街」というキャッチコピーにも、ものすごく空虚感を感じます。
 様々な批判を書いた前半・中盤の「活性化の目標」や「推進プログラム」と、それを実現するための個別事業の関連性も弱いように思われます。

 非常に辛辣なことをたくさん書きましたが、実はもともとこの「中心市街地活性化基本計画」は、国の補助金を優先的に受け入れる(国から見れば、配る)ことが主眼で作られたものです。関係省庁の承認も受けずに補助金の優先配分が受けられるという点が当時としては画期的だったのです。ですから、中心市街地をどう位置づけていくのか、活性化させるとすればどういう性格の地区に、どのような方法で、等々の哲学的な議論、実践的な検討が抜け落ちたままスタートしてしまい、現在に至っているのが現実なのです。ですから、実は、津市の計画を個別に批判しても仕方のないことなのです。大変申し訳ありませんでした。
 とは言え、まちを活性化させていく上で中心市街地の役割が重要なことは、基本的に異論がないかと思います。そのための戦略と知恵を、津オリジナルで考え出さなければなりません。国の補助事業については、活用できるものはできるだけ活用するという冷静な姿勢で臨み、目的と手段を間違えないようにしたいものです。ちなみに、昨今、まちづくり交付金、地域住宅交付金など、国の補助金も使い勝手の広いお金に変身してしまいました。もう地区ごと、事業ごとの補助金獲得に必至になる時代ではありません。本当の意味で、各地域の知恵比べの時代になっています。
 是非もう一度、中心市街地活性化基本計画は、ゼロベースから作り直すべきだと思います。

2005年12月27日 (火)

中心市街地活性化の具体的方策について

 さて、どうやったら中心市街地の活性化、街なかの再生が実現するのか、という本題に入ります。
 「街なか」は、空間的には、道路、公園等の公共空間(インフラ)と、店舗、オフィス、住宅などの祖基地空間に分かれます。血管や神経のように張り巡らされているのが上下水道や電気・ガス・電話などのライフラインです。そして、そこで日夜繰り広げられる商売や生活、イベントなどの都市活動があります。この4つの要素をバランスよく意識することが、まず重要です。
 インフラの整備は、基本的に公共団体が担っています。公共事業の世界では、インフラ整備=まちづくりという考え方がありますが、それは大きな間違いです。インフラ整備は「都市活動」を支え、応援する脇役なのに、主役だ、最優先だ、目的だ、と考えてしまうと、「道路はきれいに整備されたが、お店も賑わいもなくなってしまった」なんて笑えない結末になりかねません。都市活動を活発にすることを絶対命題とするインフラ整備でなければ意味がありません。都市活動も以前のようにたくましくて、すぐ元気になるほど若くありません。無理に傷つけると蘇生できずにかえって衰えてしまうことに、もっともっと意を払うべきです。
 次に都市活動です。商業、商店街に着目すると、その振興対策は実に様々な対策が打たれ、お金も投じられていますが、一向に効果が出ていません。担当者諸氏は施策効果を図る指標として、空き店舗数(の減少)、来街者数(の増加)、総売上金額などを用いています。そして家賃補助をして空き店舗を減らし、イベントを打って来街者を増やし、成果が上がったと言います。しかし、補助を打ち切った途端、事業を終了した途端、もとに戻ってしまう。表面的な現象(症状)にばかり目を奪われ、軟膏を塗ったり、使い捨てカイロで暖めているようなものに見えて仕方ありません。病気(空洞化)の本当の原因は、消費者・市民から見て魅力がなくなったからでしょ?行く必要がないし、行きたいと思わないから行かないんじゃないですか?その根本原因を解消しない限り、お金と手間の無駄遣いだと思います。
 いろんな市民(老若男女)が魅力を感じて行ってみたくなるような「まち」をとことん考えましょう。仮にいいアイデア・企画が生まれたとして、今は、土地が確保しやすくて、車でのアクセスが容易な郊外の農地や山林をつぶして実現させているのがほとんどです、それも外部の大資本によって(その善し悪しの評価はここでは置いておきます)。

 それを横目で見つつ、あえて街なかで取り組むのです。もちろん、立地も違う、権利関係も複雑で、道路や駐車場の状況も違うわけですから、やり方や内容は全然違います。違って当然だし、違うべきです。でも、ここが大事なんですが、街なかには有利なこと、宝物がいっぱいあるんです。まず、立地と公共交通のアクセスが非常によいこと。そして(疲弊しているとは言え)たくさんの買い物・娯楽スポットの蓄積があること。そして、神社仏閣、史跡などの文化財、オープンスペースなどの潤いや歴史文化を感じる資源がいっぱいあること。最後に、多くの市民が愛着と楽しかった思い出・思い入れを持っていることです。これらの良さを、今までの開発思想、近代化路線は全然評価してこなかった。あえて無視してきたのでしょうか。こんな宝物を!私たちの財産を!
 具体的にどういう手法でやるのか?どんなまちにするのか?全面的な(オールクリアランス型の)再開発手法ではなく、基本的に修復型でやることになります。そして、誰か開発主体あるいは公共団体が夢のような完成予想図を作って「10年後に完成します!」なんて格好いいことは言えません。どんなまちにしていきたいかというイメージとか方向性をみんなで共有しながら、5年、10年と取り組みを続けていくことになるでしょう。
 これは「まちづくり」ではなく「まち育て」と行った方がフィットしますね。

 私は、街なか再生の重要な鍵は、「街なか居住の推進」「交流人口の増加」「コミュニティビジネスの振興」の三つだと思っています。
 街なか居住の推進として持ち出される施策が、公営住宅、特定優良賃貸住宅等の公共賃貸住宅の供給促進、再開発事業による住宅供給です。公営住宅の供給は即効性がありますが、50戸もやると財政的な負担がきつくて続かないでしょう。特優賃は採算確保が難しくて現実的ではありません。再開発は手間と時間が掛かりすぎるので別の価値観で評価すべきものです。実効性があるのは、分譲系の共同住宅の計画的誘致、既存住宅の建替え誘導、そして高齢者向け住宅の供給促進だと思います。前2者は分譲系なので現在の国の政策体系では「直接的な施策がない」「民間の事業に公共は介入すべきでない」とされています。ところが、自治体レベルでは様々な効果的手法が実施できるんです。しかも税金をあまり投入しない形で。誰も気づかないのか、やる勇気がないのか分かりませんが、ほとんどどこでも取り組まれていないことが不思議でなりません。高齢者向け住宅については、既存の制度を含めて多種多様な手法を組み合わせて供給を促進していくことが適当です。分譲系だけでなく賃貸系も使います。特に定期借地、定期借家、終身建物賃貸借、リバースモーゲージ等の手法を活用しつつ、住宅系と福祉系の補助事業をふんだんに活用することになると思います。既存制度の組み合わせだけでものすごく多様な可能性が広がるのですが、それを駆使できる人がいないようです。
 交流人口の増加とは、余暇を過ごす地元の人たち、観光で来る外部の人たちをターゲットにして、彼らが繰り返し訪れたくなるような場所と仕掛け(ハード、ソフト)を用意することです。難しく、否定的に考える必要はありません。多くの人が「楽しみたい」「リフレッシュしたい」「満足感を得たい」と思っているんです。その潜在的ニーズに矢を命中させるような「場所と仕掛け」を提供すればいいのです。ツボを突けば、苦労しなくても向こうからゾロゾロやってきますよ。
 コミュニティビジネスの開発、振興については、チャンスとサポートを提供すれば、活き活きとエネルギーを発散させる「やりたい人」がいっぱいいますから、的確な施策を打てば、必ず効果が出ます。その際、先入観や固定観念、国の指導助言などは極力排除して、成果が出るなら何でもありのスタンスで担当者にやらせてあげましょう。

 さて、体制という面に着目すれば、多くの立場の人(商売や事業をやっている人、住んでいる人、土地建物を持っている人、専門家、建築士、行政、一般住民など)が連携協力、役割分担しながら協働で取り組んでいくことになると思います。連絡協議会のような体制を作るとよいと思いますが、役所主導でない方がよいと思います。
 やる気のある人(コミュニティビジネスを起こしたい人、投資したい人など)にはどんどん入ってもらえるようなプラットフォームがあるといいと思います。そして、裏返して言えば、やる気のない人、協力しない人には退場してもらうことも必要です。言いにくいことでもはっきり言った方がまちのためになるし、ご本人の幸せのためでもあると思います。
 以上申し上げてきたことは、現在の商業等活性化と市街地整備の政策スキームでは受け止めきれない、広がりと捉えにくさがあると思いませんか?発想の枠をぶち壊さないと、街なか再生は実現しないと思います。

「中心市街地の活性化」はできる!

 一般には「中心市街地の活性化」という言葉が使われています。「街なか再生」と言うと少し柔らかくなりますね。
 さて、よく「中心市街地は街の顔だ」と言われます。だから無くてはならないものなのだと。どうもこの主張には説得力がないように感じます。私は、中心市街地は「街の顔」ではなく、「まちのハート(心臓、こころ)」だと思っています。「顔」だと、とにかく金を掛けて綺麗に豪華にしようという発想になってしまいますが、「ハート」だと見た目ではなく、健康で明るく元気なことが一番になります。まさに、ハートは暖かく、生命が息づいているところですからね。

 中心市街地活性化対策の究極の目標は、中心市街地の昔の姿、昔の機能を取り戻すことだとよく聞きます。これは絶対に不可能です。なんとか復活させようと頑張っている人がいますが、無理です。日本全国どこに行っても、昔の賑やかさを復元させた街なんて一箇所もありません。あり得ないからです。少しでも復活させたいという未練も含めて、きっぱりと諦めるところからすべてがスタートします。

 現在の「中心市街地の活性化」の取組みは、「商業等の活性化」と「市街地の整備改善」の二本立てになっています。簡単に言えば経済産業省と国土交通省の施策の組み合わせですね。1+1ならまだマシで、1と1がバラバラになっているか、どちらかの1だけ、という例も見られます。連携とか調整とかしきりに言われますが、実情は絶望的になるほど溶け合っていません。決して仲が悪いわけでも、突っ張っているわけでもないと思うんですが。例えは悪いが、イヌとネコがいくら一緒にいても赤ちゃんが生まれないようなもの?のような気がします。
 「商業等の活性化」も「市街地の整備改善」も手段であり、行為に過ぎません。そこを誤解している人がものすごく多い。いくら良い素材をそろえて高性能な道具を使っても、可愛い人形や縫いぐるみはできるかもしれないが、生き物は創造できなません。そう、まちは生き物だから、自分で育つしかないんです。ですから、まちが元気になるよう、手術をしたり、治療したり、リハビリしたり、トレーニングしたりしてあげることが必要です。手術と言っても、サイボーグではないのだから、人工の腕や顔を取り付けるわけではありません。自己治癒できない病巣を除去したり、切れた筋肉や筋をくっつけたり、切り落としたりしつつ、カラダが健康な状態を取り戻す手伝いをするのです。